恋愛するとはトキメキを感じる。それは、豊かになるという事でもある。
何故、一体トキメキは起こるのか?
そんな感覚が湧き上がるのか。
トキメキを感じるには?
人それぞれによって出逢う人やタイプ、兼ね備えている質、
その好みが分かれば解るほど、どういう人に出会えばいいのか、
そしてその人と話すときの直感が直ぐさま分析できる程、自分がよく解る
その感覚に日を灯せば灯すほど、
それは普段の日常から焦点を当ててみないと気付かないし、
また素直であればあるほどに、好みの相手が解り、自分に
好きな相手が解るには?
普段から好きな事をしていればしているほど、
好きな事をすると心の中、現実世界にも共鳴し、
『最近、めっきりトキメキが無くなった・・』
『トキメキなんかとうの昔に置き忘れた・・』
そう言いたくなる人に送る、方法がこちら。
今を生きる事が、変化に繋がる
ただ単純に、『今に生きる事に焦点を当てる』
それは、将来や過去の事を考えるのではなく、今ここに在ることにだけ一点に集中する。すなわち、感じることだ。
余計なことは一切考えないでいい、ただありのままに感じるだけである。
目の前で鮮やかに咲いている花、無邪気に遊んでいる子供、鳥のさえずり、笑いながら会話している男女、綺麗な夜景。
それらは普段の日常に隠された、たわいもない奇跡だ。それに気付いた途端、日常は日常でなくなる。
そこに迷いや焦りは無く、普段の日常にある隠された恩恵に気付くだけだ。
そこに焦点を当てるとなぜだか微笑ましくなり、笑点(焦点)に変わる(笑)
幸せとは目の前にあったんだと、気付くからである。
普段、当たり前にあった建物や、物、人、看板などが日常に通り過ぎていた無意味な存在。全てが意味ある価値ある物に変化する。
人と比較したり、何かを争ったり、回りの見える世界に翻弄されていた自分に気付くだろう。それに気付くと、本来のありのままの自分に戻る。
なにか追いかけていた物や、目標などが全て泡のように消えてなくなるかもしれない。
しかしながら、それは本来の自分らしい生き方に繋がっていたものではなく、他人との比較や、他人に急がされて造られた幻想だったかもしれない。
もしかすると、前進していた物が崩れ去り、今まであった物が無くなることかも。
現状はそうかもしれないが、それが本来のありのままに繋がることさえある。
本来、変化とはそういう物である。
ありのままは、恥ずかしい?
ありのままとは、自分の好きな部分、良い部分を見るのではなく、むしろ見たくない恥ずかしい部分を含めて見るのが本来のありのままではないのだろうか。
人には誰しもみっともない、誰にも見せたくない恥な部分は持っているはずである。
それを表現するか、隠すかは自由だ。しかし、それをありのままに表現し受け入れてくれる、そんな人と出会うべくして、出会わずなにが恋愛といえようか。
恥ずかしさを自分の中で受けいられないとトキメキは気付きにくい。感じづらい。
恥を恥だと思わず、恥を感じない事が恥だと。恥ずかしさをありのままに感ずる事が、幸せに繋がる第一歩になるのではないだろうか。